経営

本当に優しいひと

人が誰かに何かを教える場面を見ていて、ふと気づいたことがあります。

それは、「教えること」と「育てること」は似ているようで、少し違うということ。

丁寧に説明し、すべての工程を教えてあげて、間違えそうなところは先回りして手を貸す。

一見すると親切で優しい指導のように見えるけれど、
それが受け取る側の自分ごとになっていなければ、本当の意味では定着しない。

なぜなら、

すぐに答えを教えてしまうと、思考のプロセスが育たない。
でも、あまりにも放っておくと、今度は不安や無力感で前に進めなくなってしまう。

この匙加減が大切。

「これって、どういう意味だと思う?」
「もし○○だったら、どうする?」
「なんでこうなったんだと思う?」

こうした問いによって、相手が自分の言葉で考え、自分の力でたどり着く。
その瞬間に、本人の中に根が伸びていくのを感じるんですよね。

できるようにさせるというのは、ただやり方を伝えることではなくて、
やりながら、自分で考えて、壁にぶつかって、それでも工夫して、少しずつ前に進む体験をサポートすること。

その過程で、できた!が他人事ではなく自分事になっていく。

教える側が不安で手を出したくなる気持ちをぐっとこらえて、
信じて待つ。問いを投げる。見守る。ときに励ます。

そのバランス感覚にこそ、「本当に育てる」ための強さと優しさがあるのだと。
これが本当に難しいと日々感じています。

なんか似たような記事を書いたような記憶があるなあと思ったら、やっぱり書いてましたね。

優しい人とある保護者案件で色々あり、感じたことをメモがわり言葉にしておきます。 花は水をやり過ぎると、根を張らないんだなあと、ラボのお花を...

ブログって、同じような話題を何度も何度も言語化し、意見が磨かれていくのも面白い点の一つだなと感じています。